ドッグトレーナーとしての活動は個性豊かなわんこ達を相手にします。
シャイ、大胆、繊細、ユニーク、サービス精神旺盛、おしゃべり、あわてん坊、芯の強い子…わんこの数だけそれぞれの個性があると思います。しかもそれは一面に過ぎず「シャイな一面もあるけど大胆さも併せ持つ」のように個性は一言では語り尽くせません。
また、私の感じているトレーナーという仕事は飼い主さんと接することがメインであると考えています。わんこのトレーニングではありますが、それは保護者である人間・飼い主のトレーニングが主であると認識しています。その為、トレーナーではなく「インストラクター」と言い換えたりもします。
短い方だと1か月ちょっとのお付き合いですが、長い方ですと10年以上のお付き合い・交流があったりします。それはお悩みが解決しても、わんことより良い関係性を構築するためのアドバイスの為であったり、楽しみを求めてイベントやレッスンに参加していただいているからです。
仔犬の頃からシニア期まで、わんこと飼い主さんとの長いお付き合いにより移り変わりを見届けさせてもらえる機会も少なくなく、時には看取り場面まで目の当たりにすることもあります。
最初に出会った時には「犬飼い初心者」で、有り余った若いわんこのパワーに「いつになったら落ち着くのかしら」と途方にくれていた飼い主さんが、トレーニングが進むにつれ自信を持って良き相棒と言える間柄になっていきます。
そしてわんこがシニア期を迎え健康のお悩みや行動面でも変化が出ると再び初めてのことに直面し闘病や介護・介助のアドバイスさせていただく機会があります。
終末期や看取りの場面で、悲しみの中にも力強さを感じることがあります。
おこがましい言い方になるのですが「この飼い主さん、とても成長したなー」と感心してしまうことがあります。それは『このわんこが飼い主さんを成長させたのだ』と強く感じるのです。
最愛のわんこがいなくなる、という現実は大きな喪失です。私自身が感じるのはそれ以上に得るもの、わんこが教えてくれたこと、更には姿がなくなってからも教えられていることがあるなと感じます。
人間の世界に異種であるわんこを迎え入れているのだからお互いの歩み寄りが大切と思うのですが、「飼う」という言葉はともすると人間が上の立場のように錯覚しがちです。わんこの純粋な生命からは上も下もなく、しかしよく考えるとわんこに教わっていることの方が多いこと、多いこと。。。人間の方が教わっている立場なのかもしれませんね^^
例えば犬と暮らしていく中で、しつけをしてこういう風になりたい、こういう風にしたい、という目標やイメージがあることは良いことだと思います。でもそれが全てそうなるわけではなく、その犬の個性がありそれぞれに合った収着点があるのだと思います。
命を預かり、育み、喜びや楽しみを共有し、もちろんそれだけではなく時には上手くいかないことにも直面するはずです。思い通りにならないもどかしさ、それを乗り越えるまでの道のり、悩み、それを愛犬と乗り越えた時の達成感。
こうしてわんこの存在を通して喜怒哀楽、色々な豊かな感情や思い出をもらっています。わんこの存在はそれだけ大きく、姿は見えなくなってもそこは変わらず生き続けるのだと感じます。
ご依頼をもらいお悩み相談のカウンセリングで初めておうちに訪問する際、いつもいつも楽しみに思うことがあります。それは、
「この子はどんなことを飼い主さんに伝える為にこのおうちに来たのかな」
仔犬ちゃん・成犬いろんなお悩みがあり、時には深刻な問題を抱えていることもありますが、それ以上にわんこに教わる楽しみが待っています。
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